二番はいない10


[ 8 พ.ย. 2551 ] - [ 18268 ] LINE it!

『二番はいない』

クンヤーイ(お婆さん) ウバーシカー(優婆夷)

チャン コンノックユーン

の生涯

10.後継者との出会い

 

 

 

その若者が、現在のタンマガーイ寺院住職、ルァンポー・タンマチャヨー師です。当時、スァンクラープ高校の学生だったルァンポーは、他の若者と違って、常にある疑問を抱いていました。「私は何のために生まれてきたのか。人生の目的は何なのか」と言う、この疑問が13歳から浮かんでいました。
 
その答えを探るために、色んな先生に会いに行ったり、沢山の本を読んだりしました。ルァンポーの図書館はベッドの下にある、と言っても良いほど、沢山の本が並んでいました。誰かから、どこの寺院が良い教えをしていると聞けば、早速訪ねましたが、どこにも、納得できる答えはありませんでした。
 
ある日、一冊の雑誌と、運命的な出会いをしました。それは、「止観を楽しめる本」というものでした。その中に、チャン先生とトーンスック先生についてのことや写真があり、特に戦争中、チャン先生が法身で爆弾投下を防いだ話が、ルァンポーの心に希望の光を与えました。
 
「爆弾投下を防げる人であれば、自分の疑問には即答してくれるだろう」と、直ぐにでも会いに行きたくなりました。しかし、チャン先生はワット・パークナーム寺院に住んでおり、自分の住まいとは遠く離れていて、会いに行ける機会が、直ぐにはありませんでした。
 
三年後、ルァンポーが18歳になった年、大学の入試試験も終わり、時間も出来たので、念願であった「チャン先生に会いに行くことを実現させる」と決意しました。何の約束もなく、突然、寺院を訪ねましたが、チャン先生は、丁度トーンスック先生の葬式で、供養の最中でした。
 
チャン先生は、トーンスック先生の棺おけの前に座っており、ルァンポーからは後ろ向きで、その顔は見えませんでした。目の前に、自分が焦がれていたチャン先生が座っているのに気づかず、ルァンポーは失意の内に、家に戻らざるを得ませんでした。
 
この後ルァンポーは、カセーサート大学に入学し、勉学で忙しく、再度寺院を訪ねることが出来ませんでしたが、自分が持ち続けている二つの疑問が、心から消えることはなく、ますます、究明の欲求が募るばかりでした。
 
196310月、大学の休みを利用して、チャン先生に会うために、再度、寺院を訪ねました。前回、残念なことに会えなかったので、今度は、色んな人たちに「チャン母さん先生が、どこにいるのか知っていますか」と尋ね廻りました。
 
誰も、チャン母さん先生を知る人はいませんでした。が、「チャン先生なら、いますよ」と教えてくれました。しかし、ルァンポーは、このチャン先生は、自分が捜し求めている先生とは、別人だと勘違いをしてしまいました。
 
ある高齢の僧侶が、ルァンポーにヴィラ クヌッタモー僧侶という方を、紹介してくれたので、早速、その僧侶を訪ねました。クヌッタモー僧侶は、特別瞑想場の中にいて、瞑想の指導中でした。その内容は、スピーカーを通し、外にいたルァンポーに届きましたが、人の苦や、経済不況、異常気象などを改善させるためのもので、この時点では、全く理解が及びませんでした。
 
しかし、それを聞くと爽快な気分となったので、この後二週間に渡り、毎日、寺院に通いました。チャン先生に会いたい気持ちは、些かも衰えることがなく、ある日、隣にいた同年代の青年に「チャン母さん先生がどこにいるのか知っていますか」と尋ねました。
 
「そんな人はいないと思うよ。チャン先生ならいるよ」と彼は答えました。これを聞いたルァンポーは、以前聞いたことがある答えと全く同じなので、若しかすると、このチャン先生が、自分が捜し求めている先生ではないか、と気づきました。また希望が沸き、このチャン先生に会いに行こう、決意しました。
 
ルァンポーは、ついに、チャン先生に会えることが叶いました。ルァンポーが丁度、ルァンプーの供養場に通り掛ったとき、反対側から歩いてきた、チャン先生と出会いました。外見からは、血管が浮き出るほどに細くて、普通の人と何ら変わりなく見えましたが、その眼は、輝き、優しく、凛々しいものでした。
 
瞳から醸し出される雰囲気は、瞑想の達人だけが持つものでした。この眼を見て、この人こそが自分の師匠であり、自分がずっと捜し求めていた人だ、と確信しました。もう誰をも探す必要がなく、この人が最終点だ、と悟りました。
 
出会うことが叶えば、直ぐにでも聞こうと思っていた疑問は聞かずに、思わず、爆弾投下の話を尋ねてしまいました。チャン先生は急ぎの用事があり、「翌日、会いましょう。今日は、葬式に出るから」と立ち去りました。その言葉を聞いただけでも、ルァンポーは、満足し胸が一杯になりました。
 
翌日が待ちどうしくて仕方なく、日が変ると、先生に会うために、飛ぶように 家を後にしました。当時、チャン先生は、寺院の中の高床式の家に住んでいました。床下部分は、人一人が座れる位の高さで、地面に板を敷き並べ、瞑想が出来るようにしていました。家に上がると、床の高さが違う二面のスペースがありました。
 
下の面からは、上の面に上がるための階段がありました。下より広い上面に仏壇があり、この部屋で、生活と瞑想指導を行っていました。部屋の真ん中には、天井には届かない柱が立てられていました。
 
ルァンポーは、この柱にもたれかかって、チャン先生といつも瞑想をしていたのです。ルァンポーがこの部屋に初めて入って、チャン先生に三拝し、顔を上げると、先生は、この時点ではルァンポーが理解できない言葉を口にしました。「大戦争当時、ルァンプーの指示で、私が、あなたをこの世に誕生するように呼びに行ったんだよ」。
 
このチャン先生の言葉は、不思議なもので、ルァンポーは、本当に大戦中の真っ只中に生まれていたのです。チャン先生が、ルァンポーに初めて瞑想指導をしたときに言った言葉は、「ひたすら、座り続けなさい」でした。
 
 ルァンポーは、チャン先生の言葉に素直に従い、何の疑問も持たずに、ひたすら瞑想に励みました。
 
  チャン先生は、新たな弟子を取ることをせずに、瞑想指導を行うのは、トーンスック先輩の弟子だった人たちだけであり、ルァンポーは、チャン先生の初めての弟子と言えます。この頃から、ルァンポーは、チャン先生を「クンヤーイ(お婆さん)」と呼ぶようになりました。先生もこの呼び方に満足していたようです。
 

  毎日ルァンポーは、クンヤーイと瞑想をしていました。来客があると、寺院の廊下にある、多くの仏像を眺めながら、数を数えたり、この寄進者が誰かを調べたり、仏像の形を見たりしながら、時間を潰していました。それでも、時間が余れば、壁に埋葬されている遺骨の主の素性などを見ながら、年少から年寄りまで様々な人たちがいることを知り、人はどのような立場にあろうが、必ず死ぬことを悟りました。お客さんが帰るや否や、直ぐ部屋に戻って、再び、クンヤーイと瞑想を続けるのでした。

 

 



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