二番はいない13


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『二番はいない』

クンヤーイ(お婆さん) ウバーシカー(優婆夷)

チャン コンノックユーン

の生涯

 

13.盟友を探す

 
1964年からクンヤーイとルァンポーは、瞑想を通じて、前世から縁があり志を同じくする盟友を、呼び寄せることを始めました。この呼び寄せは、例えどんなところに生まれようが、再び一同に集い、瞑想、波羅蜜を行って、「内面による平和こそが、世界を救う唯一の手段であること」を、世の人たちに、広く知らせるためのものです。この2年後の1966年、ルァンポーは、パデット プォンサワッドさんを連れて、クンヤーイに紹介しました。
 
パデットさん、つまり現在の、タンガーイ寺院副住職ルァンポータッタチーウォーです。(以後、ルァンポータッタと呼びます)

最近ルァンポーは、ルァンポータッタの当時の格好を、こう語りました。

「格子柄のシャツに着古したジーンズ、とにかく大声、例えば、狂った猛牛が襲い掛かってきても、この声を聞けば止まってしまうほどのもの。まるで、ギリシャのサムソンのように、筋骨隆々とした身体」

ルァンポーは、ルァンポータッタを「軍馬のように活発だった」(現在のように太っていなかったから)と、少し笑いながら比喩しました。
 
ルァンポータッタは、ルァンポー・タンマチャヨーの大学の先輩で、オーストラリア留学から戻ったばかりでした。二人が初めて出会ったのは、19661127日に大学で催された、ロイカトン祭り(灯篭流し)の日でした。このお祭りは、大学では4年に一度だけ催されていました。
 
ルァンポータッタは、一目ルァンポーを見て、何故かしら運命的な出会いを感じて、後輩のルァンポーを、酒に飲みに行こうと誘いました。しかし、ルァンポーは、あっさりと断りました。その理由を「私は酒を飲みません。戒律を守っているからです」と言いました。この「戒律を守る」という言葉が、ルァンポータッタの心に衝撃を与えました。この言葉が、ルァンポータッタのその後の人生に、多大の影響を及ぼしたのです。
 
ルァンポータッタは、ルァンポーに出会う以前には、黒魔術と呼ばれるものを修行していました。修業の成果で、例えば、鋭利な刃物で自分の体を切っても、血一つも出ない、燃盛る火の中を歩いても、火傷しない、そして錬金術などにも熟練していました。しかし、地獄や天界に非常に興味を持っていたのですが、この黒魔術では、どうしても答えが出ませんでした。
 
ルァンポータッタは、ルァンポーからクンヤーイの瞑想の達人ぶりを聞かされ、直ぐにでも会いたいと希望しましたが、ルァンポーは、暫く会わせようとはしませんでした。これは、ルァンポータッタは仏教に関する礼儀作法を心得ていなかったので、ルァンポーが三ヶ月ほどかけ、作法を教える必要を感じたからです。
例えば、「こういう言い方は、クンヤーイが好きじゃない」「こういう座り方は、良くない」「こういう冷めた目つきは駄目」などと、事細かに注意を与えました。これを三ヶ月ほど続け、もう大丈夫だろうと安堵したので、クンヤーイに会わせるために連れて行きました。
 
ルァンポータッタは、クンヤーイと会って三拝し、顔を上げた途端に「クンヤーイ、黒魔術を使って、水銀をクンヤーイの体に入れてもいいですか」と失礼にも、クンヤーイを試す言葉を放ってしまいました。隣で聞いていたルァンポーは、慌てて肘で突付きながら注意を与えましが、クンヤーイは「後で、私じゃなくて後輩に入れてみなさい」と冷静に言葉を返しました。
 
更にルァンポータッタは、三ヶ月にも渡り注意されたことを忘れただけではなく、少しの考えもせずに、次の質問を投げ掛けました。

「後輩から聞きましたが、クンヤーイは本当に地獄や天界に行けるんですか」

「本当です。私は、地獄から父を救ってきたことさえありますよ」と、クンヤーイは、然も当然のように答えました。これを聞いたルァンポータッタは、長い間探し求めていた師匠に、やっと巡り合えた思いでした。そして、次から次へと質問を繰り出しました。

「私でも、見に行けますか」「あなたのように、ここに来れる功徳があれば、長期間の修行をしなくても行けますよ」
 
 これを聞いたルァンポータッタは、自分も弟子として受け入れてくれた、と感じ感激の思いでした。この日、自分の直向さを証明するため、初めての瞑想でありながら3時間も続けました。ルァンポータッタが帰った後、この会話を一部始終聞いていた弟子たちは、ルァンポータッタの礼儀作法の無礼さに立腹し、一人の弟子は、クンヤーイに「あんな汚らしい格好をして、無礼で品がない喧嘩調子の声の主は、弟子に取らないでください」とお願いしました。
 
しかし、クンヤーイは、ルァンポータッタを弟子としました。後に、このような遣り取りがあったことを知ったルァンポータッタは、クンヤーイの思いやりと大きな慈悲心に、言葉に表せないほど深く感謝しました。「クンヤーイは、私のような粗忽者の訓練のために、どれほど沢山の我慢をしてきたことか」と、いつも弟子たちに呟いていました。


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