二番はいない17


[ 22 ธ.ค. 2551 ] - [ 17214 ] LINE it!

『二番はいない』

クンヤーイ(お婆さん) ウバーシカー(優婆夷)

チャン コンノックユーン

の生涯

17.タンマガーイ寺院の誕生

ルァンポーは、出家した後「法を学ぶための家・バーンタンマパシット」で、瞑想を続けながら、訪れた人たちに瞑想指導を行っていました。瞑想指導を受けに来る人たちは、増え続ける一方で、第一日曜日に行われる「ブーシャーカァウプラ(仏陀への献上式)」には、家に入りきらないほどの人が訪れて玄関まで人が溢れ出し、その人たちは、立ったままで瞑想をするような有様でした。

 

このような日常を見てクンヤーイは、世に法身の瞑想法を広げるためには、新しくお寺を建立しなければならない必要を感じていました。このため、タウィン ワッティラーンクーンという弟子の女性を通じて、パヤッド プェータヤポンサーウィスッターティパディー婦人と言う、布施を好んでいるお金持ちに、お寺を建立するための土地を寄進、を依頼しました。
 
タウィンさんは、パヤッド婦人の娘の友人で、この娘さんに、お母さんに会わせてくれるように頼みました。そして、娘さんの尽力で、パヤッド婦人に会えました。婦人は、クンヤーイや弟子たちの高潔な熱心さに深く感動し、50ライ(1ライ1600平米、485坪)の土地寄進の申し入れにも拘らず、なんと、196ライ9タラーンワー(1タラーンワー4平米)もの土地を、布施してくれることになりました。その土地は、バンコク近郊のパトゥムターニー県クロォーンルアン市クロォーンサームにありました。
 
また、弟子たちの発案で、布施呼びかけのための、一冊の本「幸せへの歩み」を作ることになりました。これには、新しく寺院を建立する目的や、どうして自分たちが仏教に興味を持ったのか、瞑想についてのこと、そして、クンヤーイの経歴などが紹介されていました。クンヤーイは、読み書きができないので、口述しながら弟子たちが編集をしたのです。クンヤーイは、瞑想を通して涅槃から、この本に書かれている全ての文字に功徳を与えてもらい、この本を読んだすべての人の心に染み渡るよう、そして、一緒に寺院を建立する気持ちが湧き上がるように願いました。
 
クンヤーイは、傑出した指導者、と言っても過言ではありません。お寺を建ち始めると起こるであろう事を、こう説明しました。「これから皆で、この広大な土地にお寺を作るには、一人一人が、出来うる限り精一杯、全身全霊を賭けなりません。そして必ず起きることは、一人一人の意見の食い違いだと思います。今ここで、皆さんの決意を聞かせてください。そのとき、意見が違うからといって、怒りの感情を抑える自信のない人がいれば、今、この列から、後ろに下がってください。反対に、どんなに言い合おうとも、決して怒らないと自信のある人は、私の側に近寄ってください」
 
そのとき、列の一番前で聞いていたルァンポータッタは、自分の強い意思を示すために、全く下がる素振りも見せずに、その場にじっとしていました。そして、クンヤーイとルァンポーから絶大の信頼を受けたルァンポータッタは、寺院建設現場の責任者に指名され、現地を見守るために派遣されました。
 
当時、布施の呼びかけを受けた人たちは、クンヤーイに対しては堅い信頼を寄せていましたが、大学を卒業したばかりで、年若く僧侶になって間もないルァンポーには、あまり期待をかけていませんでした。「まだ年若いお坊さん、いつ辞めるかも分からない」と、半信半疑でした。
 
この頃、寺院建設のための手持ち資金すべてで、僅か3200パーツしかなかったので、クンヤーイにかかってくる責任は、とても重かったのです。クンヤーイは、既に60歳を過ぎた老人であり、寄進された土地は、草木一本生えていない、見渡す限り人っ子一人もいない、ひび割れ乾ききった広大な荒れ野原でした。
 
ここで、どうやって寺院を建てるのか、現場で周りを見渡すと、これから先に待ち受けている困難さには、どんな人でも、絶望感に立ち竦んでしまうでしょう。しかし、クンヤーイには、諦めると言う言葉はなく、法身の瞑想法を広げ、人々に内面の平和と幸せを伝えるためには、是が非でも、この寺院が必要である事を、誰よりも承知していて、そのためには、どのような困難や苦労も厭いませんでした。
 
新寺院建設工事で最初に土を掘った初日は、マーカブーシャーの日に当たり、1970220日でした。ク ンヤーイは、ルァンポーに工事管理実務の全てを任せて、自分は、弟子たちの精神的な心の支えとなりました。
建設工事が始まると、国や地方自治体に働きかけ、水道局から浚渫船を導入して、河川を整備しました。また、空軍の建設局には、寺院までの進入路を、建設してもらいました。
 
土地の造成工事は、民間業者を使っていましたが、支払いが翌日に迫ったある日、まだ一万パーツほどが不足していました。現場責任者のルァンポータッタは、クンヤーイに手持ち資金が幾らあるのか問い合わせると、僅か千パーツ`しかありませんでした。明日支払いができないと、工事も止まってしまうので、精神的に追い込まれ疲れきってていました。すると、クンヤーイは、「瞑想をしましょう。私が財を呼び込みますから」と軽く言いました。
 
クンヤーイから言われたとおり、ルァンポータッタは瞑想しましたが、明日に迫った支払いが気が気ではなく、とても心を留める所ではありませんでした。その日クンヤーイは、いつもより長く夕方6時から夜9時まで瞑想を続けました。瞑想を終え眼を開けると、「お金は入ってきます。瞑想で分かりました」と、はっきりルァンポータッタに告げました。ルァンポータッタは、不安げながらも「それでは、明日お金を取りに来ます」と言って、帰りかけドアを開けると、外に一人の男性が座っていました。
 
事情を聞いてみると、ドアが閉まっていたので夜の7時から、ずっと待ち続けていたそうです。なんと彼は、父の遺言で3万パーツの布施をこちらにするように、と言う言い付けを守って届けに来たのです。このように、クンヤーイの瞑想での知見は、現実に起きることを予見しており、今回祈ったことも、やはり実現化しました。
 
この当時、現場責任者のルァンポータッタは、自分自身別な仕事を抱えており、この寺院建設の仕事と掛け持ちで行っていました。そこで、寺院建設に全力で取り組むために、自分の勤め先を退職しました。ところが、建設が始まるや否や、船や色んな物が頻繁に盗難にあうようになり、手分けして探してみると、盗まれた物が見つかったり出て来なかったり様々でした。
 
更には、この辺りの人たちが、なぜこのような大きな寺院を建設するのか、寺院関係者はこれから何をするのか、と疑心暗鬼となり、建設工事自体に不満を抱く人が多くなってきたのです。ある日、一艘の船が盗まれたばかりなので、2艘目の船を調達して、防水加工のためにペンキを塗って川岸に干していると、またもや盗まれてしまいました。ルァンポータッタは、以前から調べて、ほぼ犯人の目星をつけていたので、その犯人に対して、怒り心頭に達して、自分と拳銃で対決しようと挑発してしまいました。
 
幸いっだたのは翌日が日曜日で、クンヤーイの「法を学ぶための家」に瞑想に行く日だったのです。この犯人に、深く恨みを抱いたままの心で、クンヤーイと瞑想に入りました。翌日の月曜日、工事現場に行く人たちと帰ろうとすると、クンヤーイが「随分疲れているようだから、もう一日瞑想をして行きなさい」と、帰らせません。そして、クンヤーイとルァンポータッタたちは、結局二日間にわたって瞑想しましたが、最後の日に瞑想が終えると、クンヤーイが、手を合わせて祈っているのを眼にしました。
 
ルァンポータッタは、クンヤーイに「いつもと違って、随分長い祈りですが、何を祈っていたんですか」と尋ねると、クンヤーイは「私は、これから何回生まれ変わっても、例えば、敵の大軍がどんなに押し寄せようと、私と仲間を殺すことができない、私と仲間も誰をも殺さないし、蟻一匹であろうと、殺す気さえおきないように、と祈っていたのです」と答えました。この言葉を聞いた途端、二日間に渡り瞑想して心が清らかになっていたので、心の中で、あの憎むべき犯人を許しました。
 
クンヤーイは、ルァンポータッタの短気さと、負けん気の強さを良く知っていて、特に自分に落ち度がなくても悪いことをしてくる人間に対して、簡単に許すことができない性格を熟知していました。ルァンポータッタには、この性格からの悪い業を背負わないように、また、善行のみを行って欲しいために、言って聞かせるだけではなく、仏陀の素晴らしい薬である仏法を通して、穏やかな性格に導いていこうと考えていたのです。
 
工事現場のルァンポータッタたちは、昼夜たがわず働き続けて疲れきり、また、建設計画の手直しなども頻繁に起こっていて、夫々が自分の意見を勝手に主張し合って、会議では口論が絶えませんでした。クンヤーイは、この会議には出席しませんでしたが、周囲から、なかなか纏まりがつかない事を聞いていて、このように助言しました。「会議を続けても終わりがないから、私と一緒に瞑想しましょう」そして、全員がクンヤーイと二時間の瞑想を行いました。そうすると、皆の心がすっかり明るくなり、人の意見に耳を傾ける気持ちの余裕ができて、会議はスムーズに終りました。
 
また、クンヤーイは、会議が紛糾することを見越すと、会議が始まる前に「今の時間は、蒸し暑くてとても会議をする所じゃないでしょう。私と二、三時間瞑想しましょう」或いは「今日は、まだ会議をするのを止しなさい。私と祭壇の花を飾りましょう」このように、皆の緊張感を和らげるために、瞑想に誘ったりしながら心を穏やかにさせました。このために、紛糾する会議も、お互いの意見を聞きながら行え、最良の結論が引き出せたのです。
 
このようにクンヤーイは、読み書きこそできませんでしたが、人を取り纏める手腕は、常人には及びませんでした。タンマガーイ寺院は、「クンヤーイが、自らの手で作り上げた」と、言っても過言ではありません。ルァンポーは、河川の整備を終えると「法を学ぶための家」に来る信者の人たちを、建設工事現場に案内し、船に乗せて周りを見学させました。皆さんは、寺院の建設工事が順調に進捗していることに安堵すると、建設協力資金の布施をしてくれました。
 
1970年ルァンポータッタは、生涯の梵行を宣言しました。しかし、寺院建設現場での仕事が忙しくて、出家することを考える余裕もありませんでした。それをクンヤーイは、最後まで波羅蜜を一緒に行うことができないのでは、と心配していました。そのためにルァンポータッタを呼んで、こう注意しました。
 
「あなたのような人は、世俗では暮らしていけないと思います。それは、全てに寛容すぎるので、もし財産があれば、人にあげてしまう。結婚すれば、更に苦労することでしょう。あなたは、波羅蜜を行うために生まれてきたのです。是が非でも、出家しなさい。そうすれば、経典に書かれていることすべてを、自分自身で実際に見に行くことができるんですよ」
 
ルァンポータッタは、成人したばかりの頃付き合っている恋人がいて、父親に結婚の許しを申し入れたことがありました。そうすると、父は反対はせずに、ただこう言いました。「反対はしないけど、お父さんの質問に答えなさい。君は結婚すると、奥さんや子供達に、どのような仏法を教えるつもりだい。一週間猶予をあげるので、良く考えて答えなさい」
 
ルァンポータッタは、仏法に関する書籍は沢山読んできましたが、殆どが神通力に関することばかりで、結婚について書かれている本は、全く読んだことがありませんでした。一晩中考え続け、その結論は、「もう結婚しない」でした。
今は、クンヤーイから仏法を学び、結婚生活についての知識も得られましたが、結婚しないのは、クンヤーイのような素晴らしい師匠がいるからです。
 
 これまで様々な経験を積んできて、人生に関してはすべてを知っている、とひとり勝手に思っていましたが、クンヤーイから、自分自身が知らなかった世俗に合わない性格や、今後の人生の歩み方を指摘されてしまうと、眼から鱗が落ちたように悟ることができました。
 
 クンヤーイと出会って、瞑想の好きな仲間たちと付き合うようになると、心の中が不思議と暖かく感じられました。クンヤーイをまるで親のように慕い、色んな事を話しかけられることが無上の喜びになりました。自分が苦しいとき嬉しいとき、何も言わなくても、クンヤーイはすべてお見通しでした。瞑想仲間は、まるで兄弟のように仲が良くて、仏法について、様々な事を話し合うことが楽しくて堪らず、仲間たちは本当の家族同然でした。このように強く肌に感じており、出家して仏弟子になる時期が到来した、と決断しました。
 
 19711219日ルァンポータッタは、出家して僧侶となりました。出家すると全てが思い通りに行くだろう、と安易に考えていましたが、実際には、僧侶としての礼儀作法は、まだまだ学ぶべきことが山ほどありました。例えば、僧侶は在家信者から礼を受けると、礼を返す必要はありませんが、クンヤーイから礼をされると、僧侶であることを忘れて、思わず返してしまいました。対照的にクンヤーイは、弟子であるルァンポータッタに、僧侶に対する尊敬心を心から表していました。
 
 クンヤーイは、出家したばかりのルァンポータッタにこうお願いしました。
「ルァンポータッタ、出家して十年経たなければ、信者さんの家で食事をしたり、宿泊したりしないでください。寺院の外での説法は、まだしないでください。例えその場所が、公共施設であってもです。あなたは、まだ人の本心を見抜くことできません」
 
 その時ルァンポータッタは、言われたこと全てを信じた訳ではありませんが、クンヤーイへの敬意から黙って全てに従いました。今になってクンヤーイの言ったとおり、当時の自分には人を見抜く力はなく、言葉に従ったお陰で、現在の僧侶としての自分があると、クンヤーイに深く感謝しているのです。
 
 ルァンポーとルァンポータッタは、出家するとワット・パークナーム寺院の敷地内建物に住んでいました。寺院では、僧侶の住まいで信者さんへの接待は許されていましたが、クンヤーイは、二人にこれを決して許しませんでした。二人に会いにくる信者がいると「法を学ぶための家」で行い、その人が女性であれば、クンヤーイがその場に付き添いました。二人はクンヤーイのお陰で、僧侶生活を送る妨げになるものすべてを排除できました。
 
 ルァンポータッタが僧侶となって一週間後、クンヤーイは、説法をすることを勧めました。するとルァンポータッタは「私は、今まで説法したことはありません。どうすればいいんですか」と尋ねました。「難しく考えてはいけません。過去に遡って自分がどんな訓練をしてきたのか、それを話せばいいのです。信者さんは、あなたと同じように煩悩を持っています。あなたがその煩悩にどのように打ち勝ってきたのか話せば、喜んで聞いてくれるでしょう。」
「高尚な説法は要りません。あなたが説法するということは、自分に対しても言い聞かせていることです。そうすれば、仏法の精進と説法の上達になるでしょう」この簡潔な教えが、ルァンポータッタと後に続いた弟子たちの、自分への訓練の手本となりました。
 
さらに、ルァンポー不在の際の、信者を接待する訓練も勧めました。信者が来ると、ルァンポータッタの隣に座り、質問がクンヤーイにあると「私は読み書きもできませんが、この僧侶は、大学を卒業して外国留学の経験もあります。何でも直接聞いてください」と言いました。
 
このような場では、クンヤーイは全ての質問に無言を通して、ただ、ルァンポータッタと信者との会話を聞くだけでした。会話の中で、僧侶に対する質問として相応しくないものは、信者が帰宅した後に、適切な回答を授けました。クンヤーイとルァンポータッタの信者への、このような接待訓練は二年間も続きました。その結果、ルァンポータッタの信者への回答は、今のように心に響くものになりました。

 

 



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