二番はいない11


[ 9 พ.ย. 2551 ] - [ 18261 ] LINE it!

『二番はいない』

クンヤーイ(お婆さん) ウバーシカー(優婆夷)

チャン コンノックユーン

の生涯

11.クンヤーイの超越した力 
 

 
 ルァンポーは、クンヤーイと毎日瞑想を続けながら、クンヤーイから励ましの言葉をかけられていました。それは、ただひたすら、正しい方法で瞑想に励み続けるということでした。

正しい方法とは、「クンヤーイから指導を受けた通りに、瞑想を行っているかどうか」自分自身を観察すると言うことです。

励むということは、何があろうと、習慣として瞑想を欠かさないことです。

この二つは、法身に至るための絶対に欠かせない法則です。クンヤーイの日常生活は、弟子たちに瞑想指導を行うことと、瞑想で人々の苦しみを救うことでした。この法身での救いは、好きな人であれ、嫌いな人であれ、だれ彼構わず、慈悲の心を持って行っていました。
 
 例え、その人がクンヤーイに対し、疑心暗鬼であろうが、悪口を言われようとも、同様に手を差し伸べていました。クンヤーイにとって天界、地獄に行くことは、自分の住まいから寺院の玄関に行くように簡単なものでした。クンヤーイに相談に来る人から、自分の身内の死後の行方を問われると、ただ、眼を閉じ、瞑想に入って法身と一体となり知見を使い、三界(天界、人間界、地獄)すべてを、手の平の中にあるように見透しました。
 まるで、部屋の中の、どこに何があるのかを分かるように、すべてがはっきりと判別しました。クンヤーイは、回りくどい言い方はせずに、例え地獄にいようとも、単刀直入に見えたままをその通りに答えました。地獄にいれば、生前、どのような行いをしたか、その結果で、今何階の地獄にいるのか、何の刑罰を受けているのか、を詳細に説明しました。
 
 相談者が、この人を地獄から救いたいことを望めば、相談者が供養した功徳を使って助け出すことができます。そして、天界に連れて行った後に、瞑想することを教えます。もし、瞑想を欠かせば、たちまちに地獄に落ちることも忠告するのです。相談者の中には、クンヤーイが言ったことを信じられず、亡くなった人の晩年の善行しか思い浮かばなかったのですが、家に帰り調べてみると、言われた通りの悪行が出てきました。
 ある日、一人の相談者が訪れ、クンヤーイに自分の病の手術の是非を問いました。クンヤーイは、眼を閉じ、瞑想に入った五分後に、この手術の必要がないことを告げました。どこにも、手術を要する悪い患部がないことを言いました。しかし、相談者は既に医師と手術の日程まで決めており、今更手術を中止するわけには行かないと反論しました。
 
 すると、クンヤーイは、手術するなら、手術中「サンマー・アラハン」と唱えることを勧めました。その後、この相談者は、手術の経過を報告に訪れました。やはり、クンヤーイの言うとおり、どこにも手術を要する箇所がなかったそうです。クンヤーイは、それを聞いて、「手術がどんなものか、わかっただけでも良かったんじゃないの」と慰めました。
 初めてクンヤーイを訪れる人に、本人しか知らないはずのことを告げ、驚愕させるような事実を語ったこともあります。ある日、一組の夫婦が相談に訪れました。クンヤーイは一目見て、そのご主人に「あなた、競馬をやめなさいよ」と告げました。
 
 ご主人は、この言葉に心当たりがあり、これは、奥さんが前もってクンヤーイに競馬のことを教えたに相違ない、と思いましたが、後に、奥さんに正したところ、自分も初めてクンヤーイに会ったと言い、驚いたそうです。クンヤーイは、法身の知見で見えたものを、有りのまま平静に語る人でした。
 
 また、クンヤーイの弟子たちの中に、ある一組の夫婦がいて、奥さんはワットボウォーニウェッヴィハーン学校の教師で、クンヤーイを固く信じていましたが、ご主人は、地獄や天界などの存在を全く信じていませんでしたが、用心のため、毎日、一時間ほどの読経は唱えていました。
 
 ある日、ご主人がクンヤーイに、自分の体験した不思議な出来事について尋ねました。「先生、私はとても不思議な体験をしたんですが、これを話しますので、先生の答えを頂けませんか」
 

「ある夜、家のベランダでごろ寝をしていると、満天の星空から星や月の光が、廊下に差し込んで来てはっきりと周りが見えました。すると、突然、ベランダの板の隙間から煙が立ち込め、どんどん上に上り、ヤシの木の高さほどの、人の形に変りました」

「その人の形が、家を跨ぎながら去っていきました。先生に相談に来る前に、色んなお寺に行きましたが、はっきりとした答えは頂けず、眼の錯覚ではないかと言われました」
 この話を聞きながら、瞑想に入っていたクンヤーイは、問われると即座に答えました。「あなたが見えたものは、あなたの親戚だった餓鬼です」
ご主人は「私の親戚で餓鬼に生まれ変るような人は絶対にいない」と反論し、「もし、そうなら、どうして餓鬼に生まれ変ったのですか」と、問いかけました。
 
クンヤーイは「その親戚は、お寺を管理を任されていた男性の信者さんでしたが、そのお寺の物を盗んでしまったことがあるから、その悪業で餓鬼に生まれ変ったのです」と答えました。
 
 ご主人は「親戚の中でお寺の管理を任されていたような人は、誰もいません。そうなら、その人の名前を教えてください」クンヤーイは、度重なるご主人の失礼な反論にも意に返さず「彼の名前はラッサミーです」と告げました。
 
 ご主人はこれを聞き、「そのような名前の親戚はいないし、自分の親戚なら、もっと体裁の良い名前をつけますよ」と、勝ち誇ったように言って、クンヤーイに、然も簡単に礼をすると、その場を跡にしました。
 
 数ヵ月後、ご主人は再度クンヤーイを訪ねました。「あれから、色々調べてみると、親戚にラッサミーという人がいて、確かにお寺の管理などをやっていたようです。しかし、物を盗んだということは聞いたこともないし、餓鬼の存在などは、未だに信じられません」と自分の頑迷さを顕わしながら、クンヤーイの知見の正しさを、信じようとしませんでした。
 
 クンヤーイは、ルァンプー生前の頃から、天界や地獄などへ法身で行き来することを、数数えられない位に行っており、その知見の正確さは、ルァンプーからの質問に、すべて答えられたほどのものでした。ルァンプーは弟子たちに質問すると、答えを見出せない人や、真面目にやらない人に対して、「まるで固形燃料だな」と叱りました.
 
 この意味は、昔のタイの固形燃料は火が消えやすく、何度も掻き混ぜる手間がかかりました。このように、何度も言わなければやらない人たちや、真面目に瞑想を行わず、他のものに気を取られたり、さぼってしまうような人を「固形燃料」と比喩したのです。
 
 クンヤーイは、ルァンプーから生前一度も、この言葉を投げられたことはありませんでした。クンヤーイは、最高の良馬のようなもので、他の馬が騎手から鞭を振るわれることを見て、その叩かれた意味を理解し、決して同じ間違いを起こさないよう、自分自身に言い聞かせることが出来る人でした。
 
 クンヤーイは、活発で健康的な人でした。しかし、トーンスック先輩の看病を長期間行っているうちに、体調を崩してしまいました。クンヤーイの一人の弟子が、スクムヴィットに住む優秀な医者で、治療のために、自分の家に通ってもらうようにしました。
 
 当時、ルァンポーは、毎日クンヤーイと瞑想をしており、クンヤーイが医師の家に治療に通っていると、自分の家から数時間もかかる医師宅へ、苦労しながら通い瞑想を続けました。いつも汗だらけになりながら、医師宅に到着したルァンポーがクンヤーイに会うと、クンヤーイは、ベッドでシーツを顔にかけ横になっていましたが、直ぐに、シーツを顔から下ろし、瞑想の指導を始めました。
 
 病気治療中にも拘らず、自分の持っている瞑想の知識を、すべて弟子に伝えたくて喜んで指導しました。このようにクンヤーイが、ベッドで横になりながら、汗だくのルァンポーとの瞑想は、通院中にも毎日続きました。ルァンポーは、クンヤーイとの瞑想が楽しくて堪らず、何を聞いてもすべて素直に信じ、何を指示されても同じようにすべて素直に行いました。
 
 毎日、瞑想のレベルが一歩ずつ上達していくのが分かり、これによって生じる幸福感は、世界中の何ものとも、比べようがありませんでした。ルァンポーが、クンヤーイに対し感じていたのは、徳の高い人であり、その心が、清らかで綺麗なことでした。なぜなら、クンヤーイは、例え闘病中であっても、常に清らかさの源である法身に入って、心を留め続けているからです。

 

 

 



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