苦しまないで


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ケーススタディー
苦しまないで
 
 
     母は11人兄弟の長女です。母はとても頭が良かったのですが、小学校までしか学校に通うことができませんでした。両親を手伝い、兄弟達を学校へ行かせるために働いていました。18歳で結婚をしました。その頃祖母は末の子供を産みました。その後まもなく祖母は亡くなり、母は兄弟の面倒を看なければならなくなりました。
 

    母は心優しく、功徳を積むのが好きです。毎朝托鉢に来る僧侶にお布施し、仏日にはお寺へ参拝に行き、雨安居の時期には八戒律を守っていました。私はタンマガーイ寺院に行くようになり、1995年には母を一緒に連れて行きました。母は仏像を安置するなど様々な功徳を積んでいました。年を取ると体調を崩しお寺に行く事ができなくなってしまいました。ですから私がお寺に行く時には、必ず母に功徳を分けるように報告をするようになりました。

    母は40歳を過ぎた頃に子宮を取り除く手術を受けました。その後肝硬変や胃からの出血、最終的には糖尿病を患い毎日朝夕に注射を打たなければなりませんでした。2004年1月4日、容態が悪くなった母は入院しました。私は母の看病をし、これまで積んだ功徳を思い出すようにと呼びかけていました。耳元でお経を唱え聞かせたりもしました。その頃母には痴呆症状も見られ、私の顔を見た時に「連れて行かれる」と怖がったように怯えていました。ですから私は「その人に仏塔に安置した仏像を見せて、彼に功徳を思い浮かべるようにといってあげて」と母に言いました。入院から15日後、母の容態はさらに酷くなりました。嘔吐や血便をするようになりました。それから母は目を開けたまま動かなくなってしまいました。医師や看護士は心臓マッサージなどを施してくれましたが、成果は得られず、医師は母の死亡を確認しました。しかし医師が病室から出た直後、心電図が動き出しました。私は急いで医師を呼びにいきました。医師は薬の影響で心電図が動き出したと言いました。私はその間1時間お経を唱えていました。母の心電図は徐々に波が小さくなっていき、止まりました。享年63歳と8ヶ月でした。葬儀後、私は母の供養のために功徳を積みました。

    1番上の姉は母と同じ日に生まれました。42歳の時、姉は母と同じように子宮の手術を受けました。それに糖尿病にもかかっています。姉の娘は小さい頃から痒みの出るブツブツが体中にできるようになっていました。色々な治療を受けたせいで体も弱くなってしまいました。現在10歳ですが、未だに治ってはいません。
 
    3番目の姉は結婚して6年後、子供も授かったのですが、夫がギャンブルで作った借金のために離婚することになりました。私は姉の子供をよくお寺に連れて行っていました。姉の娘は私のことを小さな頃からお父さんと呼んでいました。私達は本当の親子のように愛し合い仲良くしています。10歳になるこの子はとても優しく、言葉遣いもとても丁寧です。卓球の県大会で優勝し、全国大会では3位に入りました。私はきっと国を代表する選手になるだろうと思っています。
 
   父は中国人です。戒律に違反する動物や魚を殺す仕事をしていました。子供達はひとり立ちすると、毎月父に仕送りをしていましたが、父は魚を取ったり、お酒も好きでした。私は父にだまって飼育している魚を自由にしてあげた事があります。父はそれに不満で、私に余計な心配はするなと文句を言いました。魚は食べられるために生まれてきたんだと言っていました。懸命に因果応報について説明しましたが、父はまったく信じてはくれませんでした。父はトラックに轢かれてから、頭が少しおかしくなり、鼻も機能しなくなりました。それに高血圧症もわずらっています。現在、父は地方の家に1人で暮らしています。子供達が一緒に暮らそうと父に言っても、家を出ようとはしません。土日は兄弟が交替で父を見舞っています。
 
     私は幼い頃時々父からの命令に逆らえず魚を取っていました。魚を殺す前に「やりたくないけど大人の命令だから許してね」と話しかけていました。今、私はよく魚を放しに行っています。それに姪御達にたとえアリでも蚊でも殺してはいけないと教えています。         
 
    子供の頃私は喘息持ちでした。現在では症状が出ることはあまりありません。出家コースに参加し、派名ワットに瞑想へ行こうとしていた時、右足の筋に鈍痛が走りました。足の付け根からつま先まで痛みに襲われました。瞑想もあまりできず、ゆっくりと筋を伸ばしていなければなりませんでした。

     私にタンマガーイ寺院を紹介してくれた友人は毎週日曜日には必ず功徳を積みにお寺に行っていました。30歳になった頃、彼は功徳を積むことをやめてしまいました。事故に遭いこの世からいなくなってしまったからです。生前彼は面白おかしく死んだら死後の世界を話してあげるよと言っていました。しかし実際亡くなってしまうと、どんなに私を訪ねてきてくださいと祈願をしても、姿を現すことはありませんでした。スパンブリー県で瞑想をする機会のあった日、どうしてお寺に来るようになったのかと聞かれました。私は友達に誘われてきたと答えました。そして彼は亡くなってしまったけど、まだ彼のもとへ行きたくないですねと言いました。彼について面白おかしく話していました。少しすると、目に何かが入ったかのように痛みを感じました。看護士をしている人に看てもらったのに何もありませんでした。瞑想をしている間、私はずっと目を手で押さえていました。瞑想が終わるとその痛みはなくなりました。あまりに不思議だったので、私は彼の仕業なのかと考えずにはいられませんでした。

    その後、29期の出家コースに参加しました。還俗が近づいていた日、私は彼の夢を見ました。私は嬉しくなり彼に声をかけました。死後どこにいるのだと質問すると、彼は悲しそうな顔を見せ「8万年地獄で過ごさなければならない」と答えました。ですからこの出家した功徳があるじゃないかと言うと、彼は手を合わせ涙を流していました。

質問   

1.  母が長女だった為に10人の兄弟の世話をする為に学校に行く機会も奪われ、仕事をし苦労していたのですか。

2.  母が子宮の手術を受け、糖尿病と肝硬変を患い、胃からの出血を起こし、晩年になると合併症を患い、治療に苦しんでいたのはなぜですか。

3. 母が連れて行かれると言っていたのはどういう意味ですか。母はいつ亡くなりましたか。私は母にお経を唱えました。母は聞いてくれていましたか。

4. 死後母はどこに行きましたか。タンマガーイ寺院に来ましたか。死後、母が私隣に寝ていて寒いから姉に毛布をかけてあげてと言っている夢を見たのですが、これは正夢ですか。または子供や父に何かを伝えたがっていたのですか。

5. 母の弟は失恋を苦に銃自殺し、妹は車の中で亡くなったのはなぜですか。死後どこに行きましたか。母に会えましたか。

6. 父が高血圧症を患い、鼻が利かなくなってしまったのはなぜですか。父が地方で1人暮らしをしているのはなぜですか。父に功徳につい手理解してもらうにはどうすればいいですか。全ての動物は人間に食べられる為に生まれてきているわけではないと理解してほしいのです。

7. 1番目の姉と母は同じ誕生日、同じ病で手術を受けたのはなぜですか。将来、姉は母と同じように糖尿病を患いますか。

8. その姉の娘の体に発疹ができて痒みという苦しみを味わっているのはどんな悪い報いを受けたからですか。どう改善すればいいですか。

9.  3番目の姉たった6年間で結婚生活の終わりを迎える事になったのはなぜですか。彼女の娘は私を実の父親のように慕ってくれています。過去世この子と私にはどんな縁がありましたか。生まれる前どこにいたのですか。なぜ親切で優しい子なのですか。将来、有名な卓球選手なりたいと願っているのですが叶いますか。有名な選手はどんな善い行いに対する報いを受けているのですか。

10.  私を善い道へ導いてくれた友達はどんな功徳を積んでいましたか。なぜ若くして亡くなったのですか。死後どこにいますか。セミナーで起こった事にはこの友達が関係していますか。夢で8万年も地獄にいなければならないと言っていたのですが、本当ですか。

11.  自分の意思ではなく動物を殺すことでどんな悪い報いを受けるのですか。私はどう改善すればいいですか。

12. 幼い頃からアレルギーを患っていたのはなぜですか。出家した時に、右足を痛めたのはなぜですか。私はどんな功徳を積んでいましたか。瞑想の結果はどうでしたか。
   
   答え
 
1.   長女であったお母さんが苦労して10人のご兄弟の世話をしていた為に高い教育を受けられなかったのは、過去世にあまり布施もせず、教育を受けられるようにと奨励もしていなかったからです。お金持ちだったお母さんは、当時の価値観などから子孫、特に女性の学習教育を進めようとはしませんでした。  
  • ご兄弟の面倒を見ていたのは、お姉さんの務めでもあり、人の世話をするが好きだったからです。これは新たな功徳になります。

2.    お母さんが子宮を切除され、糖尿病と肝硬変を患い、胃の内出血をしていたのは、ある過去世において浮気者だった事と、食用と販売のために殺生した事に対する報いを受けたからです。接待のために、何回も殺生の注文をした行いもありました。
  • 晩年、多病を患い治療による痛みに苦しんだのは、先ほどの行いに対する報いを受けたからです。

3.    お母さんが誰かに連れられていくと言ったのは、その区域の責任者である土地の天人が迎えに来たからです。
  • 彼はお母さんの寿命が尽きるのを知っていたのです。お母さんは脈が停止した後に亡くなったのです。
  • あなたが唱えていたお経をお母さんはかすかに聞いていました。そのおかげで心が明るくなりました。

4.    功徳を積んでいたので、死後第1天国の黄金の天党に鬼系の女天として生まれました。それは亡くなる前の念が弱く、怒りを持っていたからです。こうして生まれたので、タンマガーイ寺院に来ませんでした。   
  • お母さんが亡くなったばかりの頃に、よくお母さんの夢を見ていたのは、あなたがお母さんを心配していたからです。  
  • 今、お母さんは幸せに微笑み、楽しく暮らしていますよと言っていました。

5.    お母さんの弟さんは失恋を苦に自殺した後、第1大地獄の閻魔界に連れて行かれ、何度も自殺を繰り返しています。
  • 弟さんと同じように自殺したお母さんの妹さんは、車の中で亡くなった後に平凡な土地の天人に生まれ変わりました。

6.    お父さんが高血圧を患い、眩暈を起こし鼻が利かないのは、過去世と現世で食用と販売のために魚等の頭を殴って殺していたからです。
  • 県外で1人暮らしているのは、両親の面倒を看る功徳がなかった為に、面倒を見てくれる子供がいないからです。
  • お父さんにDMCを見ることを勧め、気の会う善い人と付き合わせてあげて下さい。あるいは仏法のテープを聞かせ、お父さんの名義で布施をして下さい。

7.   1番目のお姉さんがお母さんと同じ月日に生まれ、同様に子宮を切除されたのは、ある過去世でお母さんの弟だったお姉さんがお母さんと一緒に浮気をしていたからです。
  • 彼女にすべての功徳を積み、この悪い報いから逃れる事を祈願するようにと勧めて下さい。

8.    1番目のお姉さんの娘さんがの全身に腫れたのは、過去世である王の妾の召使だった時に他の召使と喧嘩し、その使いの寝室に養花を忍ばせ痒みを与え苦しませたからです。  
  • 悪口を言った行いの報いでもあります。改善するために、すべての功徳を積んだ後、良い医師と良い薬に巡り合えるように祈願して下さい。そうすれば、完治する事ができるでしょう。


9.   3番目のお姉さんが6年間だけしか結婚生活を送らなかったのは、一緒に積んだ功徳はそれまでだったからです。それに信仰や戒律や意見が合わなかったからです。
 
  • お姉さんの娘さんとあなたは、親子だったり、親戚だったりして、助け合ってきたので、現世、親子のような深い縁を感じたのです。
  • この娘さんは明るい場所から誕生してきたので、優しくて思いやりのある子になりました。  
  • 有名な卓球選手になりたいという希望は、努力を怠らなければ叶うでしょう。世界で有名な選手は、過去世で積んできた功徳と努力し練習を積み重ねてきたからです。

10.    なたをお寺に連れてきてた友達は、過去世で仏教を信仰し支えていました。  
  • 若くして亡くなったのは前の仏陀の時代に後に出家した王様の軍隊に所属したくさん人を殺していたからです。
  • 当時、王様に従わず出家はしませんでしたが、仏教を支えるのが好きでした。
  • 死後、7日間彷徨っていましたが、後に明るい道を見て、それに沿って歩いていき第2天国に生まれました。友達の夢を見たのは、ただの妄想でした。   

11.    自分の意思ではなく殺生した報いは、故意に殺生する事より罪は軽くなります。殺生をしたことで病を患う事になるかもしれません。
 
改善するために、すべての功徳を積み、魚の放流をしてから、殺生した動物を供養して下さい。
 
 
12.    あなたがアレルギーを持っているために疲れていたのは、前の仏陀の時代に後に出家した王様の軍人だったあなたが、馬を走らせるために鞭で馬の足を叩いていたからです。
 
  • そのために出家している時、足が腫れて痛くなりました。  
  • あなたは仏教を支えてきました。当時の瞑想の結果、透明な水晶玉を見ることができ、死後第4天国に生まれした。
  • 現世、仏教と廻り合えたのですから、できるだけ功徳を積む事に励んで下さい。そして菩薩の領域『とそつ天』に生まれる事を願いましょう。

 


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