工場で働く少女


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ケーススタディー
工場で働く少女
 
 
  私は農家に生まれました。父は楽器の演奏を主の仕事としてやっていました。父の周りにはいつも綺麗なダンサーが何人もいました。父は息子に楽器の演奏を練習させ、姉2人にダンサーをさせていました。父の楽団はとても有名で、県内のいろいろな場所で公演を行っていました。たまにですが、他県での公演の依頼を受けることもありました。その後、父の周りから若いダンサーは消えていきました。それぞれが結婚をし辞めていったからです。ほとんどのダンサーは楽器の演奏者と結婚していきました。それから父は何を思ったか、牛の飼育に力を入れるようになり、ただで牛の飼育を手伝うようになりました。ただ子供が生まれると1人1匹ずつ分けてもらっていました。そうしているうちに父の牛はどんどん増えていきました。父はその牛を売り払い、収入を得ていました。2年後牛の飼育を辞め、中東の国へ出稼ぎに出ました。お金が溜まると再び音楽をやるためにタイへ戻ってきました。今回は5番目の兄をリーダーに備えました。父のタイ楽器の演奏の腕前はピカイチです。どんな楽器でも弾きこなすことができます。現在父は75歳になりますが、今でも現役で演奏をしています。音楽をとても愛しています。

    父の変わりにリーダーをしていた5番目の兄には、絵を描く才能がありました。兄は仏像を描く事が好きでした。ある日、兄は牛の世話のために森へ行くと、粘土で膝くらいまである仏像の彫刻を作りました。そしてその粘土が乾く頃、近所の人が母に、「あなたの子供が森で仏像を作ったのよ。あそこは仏像の安置する場所じゃないわ。こんな事したらきっと悪い事が起こるわ。現に雨季なのに雨がちっとも降らないじゃない。早く子供にその仏像を処分するように言ってちょうだい。」と言いに来ました。
   
    母は9人子供を産みました。私はその8番目です。私の下に弟が1人います。母は子供を産んだ時に2度体に障害をおった事があります。1度目は6番目の子供を産んだ時です。2度目は9番目の子供の時でした。しかしすぐに普通に歩けるようになりました。

    母は重労働をずっとしてこなければなりませんでした。実は農業と楽団を平行してやっていた私達家族は裕福なはずでした。でも私達家族は裕福ではありませんでした。そればかりか、村でも有数の貧乏でした。母はエビや魚、野菜などの食料の調達に汗水を流していました。それに母は父の浮気性にも悩まされていました。心を痛めた母は父へあてつけるようにお酒を飲むようになりました。  

    母はお酒の飲みすぎで体調を崩し、入院しなければなりませんでした。横になったきり、体を起こすこともできませんでした。トイレもベッドの上していました。しかしある日私が母の看病をしていた時の事でした。母は起き上がりベッドに座り、私に向かって「魚の料理を作るわよ。魚をいっぱい取ってきてちょうだい。」と言いました。私は母のこの姿を見てとても驚きました。それから数日後に母65歳で亡くなりました。

     母が亡くなったばかりの頃、私は着る物も住む家もなく、雨に打たれている母の夢を見ました。ですから私は母の供養のためにとずっと功徳を積みました。そして再び母の夢を見ました。その姿は綺麗な洋服を纏い、とても良い表情をしていました。2005年の中旬、私はまた母の夢を見ました。僧侶4人に連れられ母を訪ねると、自分の家を持ち、生前より良い生活をしている姿になっていました。この夢の中で母は、もっと大きな家に住みたいわと言っていました。
   9番目の弟は呼吸停止の状態で生まれてきました。誰もが死んでいるのだと思い、葬式を開こうとしました。しかし母はそれを拒み、もう少し待ってもらうように強く願いました。そこでもう1日待ってみることにしました。しかし次の日も様子は変わりませんでした。葬儀を開こうとしたのですが、体が不自由なのに母は弟を抱きしめ放そうとしませんでした。3日が経ち、母は弟のお腹の辺りで何かが上下に動いていることに気づきました。息子が息を吹き返したと思った母は、それがまだ確かではなかったので、近くに置いてあった綿を取って、鼻の下に置きました。すると綿が風に吹かれフワフワと浮きあったのです。それでもまだ自信がなかった母は全員を呼び出しました。すると兄は大声を上げて泣き出しました。兄は今36歳になりました。

    私は17歳になると、田舎を出て都心へ働きにでました。私はサムットプラカン県の工場で事務員をしていました。親友と一緒にバンコクへ出かけた日の事でした。バスに飾られていた1人の僧侶に出会いました。その写真を見つめながら、私は心の中で「私はあなたの孫の1人です」と声をかけていました。私を見つめているその僧侶の視線にとても強い力を感じ、鳥肌が立ちました。バスを降りる直前、私は写真の下に「プラモンコープムニー」と名前が書かれていることに気づきました。その写真は3日間、私の瞼から離れませんでした。再び出会ったのは、床に落ちていた雑誌の表紙に載っていた大師でした。私は嬉しさのあまり涙を流しながらその雑誌を拾いました。大師の載っている記事だけを綺麗にして、寝室に飾りました。そして毎晩お経をし、大師に向かい三拝しました。一瞬にして大師は私の拠り所になりました。  
 
     ある日昔からの友達を訪ねました。普段なら夕方まで話をしているのですが、その日はなんだか早く帰りたくなりました。バスに乗っている時、私は心の中で大師の写真を思い起こしていました。家に着いてから息する間もないタイミングで、火事だ火事だという叫び声と共に20キロ手前の方で火の手があがりました。木造の私の家のすぐ手前まで火が来ていたために、私は急いで必需品を家から出しました。いよいよ家に火が燃え移ろうとしている時に消防車が間に合い、災難を逃れる事ができました。
    1998年、私はドイツ人男性と2度目の結婚をしました。私はドイツへ連れ子である娘も一緒に連れて行きました。その後彼との間に息子を授かりました。夫はタイが好きで、仏教の勉強をするのも好きでした。彼はタイでお寺の見学をすることにとても幸せを感じていました。親戚の方々も優しく、私を大事にしてくれています。
 
    舅は気づかない間に肝臓癌を患っていました 。気づいた時には末期になっていました。私は舅の名前で仏像を安置してあげました。その後容態は悪くなりましたが、意識だけははっきりとしていました。手を合わせるように舅の手を取り、その中にマハースワン二ティという仏像を鋳るための金属の玉をいれました。そして功徳についての説明をしてあげました。そしてお経を唱えました。舅は何の痛みも感じずに、眠るようにして亡くなりました。

質問

1.    なぜ私や兄弟は貧乏な家族に生まれたのですか。兄弟同士いつも喧嘩しているのはなぜですか。

2.   父、母、そして兄弟はお金のために牛を販売をしていたことでどんな悪い報いを受けるのでしょうか。改善するためにはどうすればいいですか。

3.    父に音楽の才能があり、兄弟にもその才能があったのは、過去世で音楽系の天人だっからですか。毎年慰霊祭に豚や鳥の頭部をささげる事でどんな悪い報いを受けるのでしょうか。改善するためにはどうすればいいですか。

4.    5番目の兄は粘土で作った仏像の彫刻を砕く必要がありますか。壊すことでどんな悪い報いを受けるのでしょうか。どう改善すればいいですか。仏像をそのままにして置いたらどのような現象が起こりますか。

5.    母が浮気性な夫と結婚したのはなぜですか。6番目と末の子を出産した後、体に障害をおったのはなぜですか。死後母はどこに行きましたか。今どうしていますか。伝事はありますか。夢に出てきた母は本当の姿だったのですか。 
 
6.    生まれてから3日間で呼吸しなかったのに、その後弟が息を吹き返したのはなぜですか。

7.    プラモンコンテープムニー大師に会った事が無くても、大師の子供だと感じたのはなぜですか。私と大師は一緒にどんな功徳を積んでいましたか。

8.   火事に遭遇しても、難を逃れる事ができたのはなぜですか。助かったのは、その日大師をずっと思い出していたからですか。

9.    死後舅はどこに行きましたか。仏像を安置した功徳や亡くなる前に私が功徳について説明してあげたこと、どのように舅を助ける事ができますか。

10.    なぜ夫はタイ国が好きで、仏教を勉強するのも好きなのですか。彼は仏教の国に生まれたことがありますか。

11.    私、夫そして子供2人ははどんな功徳を積んでいましたか。息子は生まれる前どこにいたのですか。過去世、息子は出家したことがありましたか。

答え

1.    あなたと兄弟達が貧乏な家族に生まれたのは、過去世、けちで、あまりお布施を施さなかったからです。
 
  • 兄弟達がいつも喧嘩をしていたのは、互いに尊敬しておらず、異なった見解を持っていたからです。

2.    両親は家族を支えるために、牛を売り出すことにしました。もし食材にする目的として売っていた場合には両親は多病を患い、長く生きることはできないでしょう。労働力として売っていた場合には何の悪い報いもありません。
 
両親にすべての功徳を積み、お布施を施し、戒律を守り、瞑想を実践するよう勧めて下さい。そして苦しめた動物たちを供養して下さい。
 
 
3.    お父さんが音楽が得意なのは、何度も第1天国のヒンマパーンという森で音楽系の天人として生を受けていたからです。
  • あなたの兄弟達が音楽が好きな理由も、お父さんと同じ理由です。
  • お父さんはいつも豚や鶏の頭を音楽の神に捧げていました。自分で殺したり、殺すようにと支持をだしていおなければ、悪い報いはありません。   
  • しかしそうでなければ悪い報いを受け、多病を患い、長く生きることはできないでしょう。
  • 改善するために、お布施を施し、戒律を守り、瞑想を実践し、すべての功徳を積んだ後、傷つけられた動物たちを供養して下さい。   


4.   5番目のお兄さんは粘土で作った仏像を壊して捨てました。悪い報いがあるかどうかは、どういう考えで行ったかによります。怒りで故意に壊した場合には、死後長期間、大地獄に落ち、鬼に暴力を振るわれるでしょう。人間に生まれ変わっても、暴力を振るわれ、軽蔑されるでしょう。
  • 仏像をした為に異変が収まったわけではありません。
  • 安心するためにもタンマガーイ仏塔に仏像を安置し、お布施を施し、戒律を守り、仏像が見えるまで瞑想を実践して下さい。


5.    お母さんが苦労してきたのは、過去世、けちであまりお布施をしなかったからです。浮気性のご主人ができたのは、過去世、男性に生まれたお母さんがよく浮気をしていたからです。
 
  • お母さんの6番目の娘さんと末の息子さんを産んだ時に体に障害がでたのは、過去世、屠所に出すために動物を縛りつけていたからです。その悪い報いがかなり軽くなり、完治させることができました。  
  • お母さんは死後、土地の天人に生まれ変わりました。初めは苦しい生活をしていましたが、後に供養した功徳を受け、土地の高級の天人に生まれ変わり、衣食住などの生活の面が良くなりました。
  • お母さんはあなたに「供養してくれてありがとう。そうしてくれなければ苦しい生活をしていたことでしょう。」と言っていました。
  • あなたの夢に現れたお母さんはご本人です。 
  •  

6.    弟さんは息をしない状態で生まれてきたのに、3日後に息を吹き返しました。初めから彼は亡くなっていたわけではありません。ただ失神していたのです。それは過去世、彼が料理をするために、小さな魚の群れを捕まえて殺したからです。後に意識が戻ったのは、過去世、近所の人達に薬を与えたことがあるからです。


7.    あなたは大師を見た事がないのに大師に親近感を覚えました。それは過去世、大師と共に功徳を積んで来たからです。


8.    あなたが火事にあったのは、過去世、怒って他人に「火事に遭うように」と呪いをかけていたからです。  
  • あなたはゴミを燃やし、くさい煙を出した隣人に怒って、呪いをかけいました。
  • 被害に遭わなかったのは、大師と共に功徳を積んで来た事と、その日あなたの心が大師とつながっていたからです。

9.    お舅さんは死後、お酒を飲んでいた悪い報いにより地獄に落ちるはずでした。しかし亡くなる前に仏像を安置した功徳により、心が明るくなり、先に空の天人として生まれました。
  • お舅さんは喜びにあふれ「お布施をするように勧めてくれたから、ここにいることができる。あなたに感謝しています。」と言っていました。

10.    ご主人はタイと仏教が好きです。それは過去世、仏教徒として功徳を積んでいたご主人が、ただ功徳を積むだけで十分だと思っていて、祈願をしていなかったからです。そのため仏教から離れた所に生まれました。  

 
11.    あなた、ご主人、そして2人のお子さんは過去世、仏教徒として気分によって功徳を積んで来ました。
  • 息子さんは生まれる前にある程度善い所にいました。過去世、短期出家をしていました。
  • 現世、仏教と廻り合えたのですから、できるだけ功徳を積む事に励んで下さい。そして菩薩の領域『とそつ天』に生まれる事を願いましょう。
 


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