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CASE STUDY
ศิลา…อาถรรพ์
私は1987年にタンマガーイ寺院で行われた出家コースに参加した事があります。出家中にクンヤーイに会ったことがありました。その時クンヤーイは「あなたは男性に生まれることができていいですね。出家する運命を持っているのですから。」と言ってくれました。その言葉を聞き、私はずっと僧侶として生きていきたいと思うようになりました。しかし当時の出家コースは当初の期間を終えた後、続けてそこにいることはできませんでした。そこでチェンマイ県にある修行場で瞑想しに行きました。そこは森林やお墓ばかりでした。私はプラモンコンテープムニー大師のお守りを拠り所にといつも持ち歩き「生活できるように食べ物や飲み水がもらえるように」と願っていました。ある日、トゥジャウスアダウ洞窟に到着しました。中国の僧侶の格好をし、長髪でとても明るい顔をした人に出会いました。私はその彼に「毎日何をしているのですか?」と尋ねると、「歩いて、立って、座って、寝て、食べる。このくらいです。深い瞑想をしようと修行しています。何にも執着していません。」と言っていました。
その後、チェンマイ、チェンライと瞑想をしに行き、ルーイ県にあるバンポット寺院の洞窟へ再び瞑想をしに戻りました。食事は少なく、瞑想を長くするようにしていました。おしゃべりや睡眠時間も取らず、洞窟から出ることなく1ヶ月間瞑想修行をしていました。瞑想をすると心の中に仏像が見え、色を変えることも、それが広がっていく事もありました。心から明るい光が放ち、心が落ち着き、頭から足まで心地よさに満たされました。1日中幸せに瞑想を続けることが出来ました。よく瞑想すると通力の力を感じました。心が落ち着けば、光はさらに明るさを増しました。時には誰が1番強い輝きを放つかと競争した事もありました。すれ違いに「もう明るくなったじゃないですか」と挨拶を交わしていました。明るいと言うのは顔ではなく、体の中からあらわれるものを指していっているのです。3ヶ月が経ったとき、とても不思議な事が起こりました。そのためコンケン県に戻りました。私はこの地をとても愛しています。1987年6月18日、私は村のお墓に住んでいました。そこはとても静かで、心地良い風が吹いていまいした。私はそこがとても好きになりました。ある日、棺桶で寝るという修行をしていた時、黒い影が私を持ち上げ投げられている夢を見ることもありました。体が軽くなって、とても気持ちよく感じました。この場所に寺院を建立したいと考えるようになりました。
私のいるお寺からさほど遠くない所に、ターパーカーウという名前のお寺がありました。この寺院はバラモン教の神を礼拝する場所だったことがあります。そこには不思議な瓶がありました。雨が降った時、この瓶は川まで流れていったのに、自然と戻ってきたという言い伝えがあります。現在はナコンラチャシマ県の博物館に収められています。お寺の横の敷地でも不思議なことがありました。プールを作ろうと土をほんの少し掘ると、そこから水が出てくるようになり、その水が飲めるようになったのです。浅くしか掘っていないのに、こんな水が湧き出てくるのを見て、村の人達はそれをアェンサブナムと呼ぶようになりました。そこにある黒い石を目に付くとそれが欲しくなり、私は勝手にこの石を持って帰りました。そしてお寺に帰ると講堂にある仏像に安置しました。それからというもの、何度も不自然なことが起こるようになりました。晴れの日でも雷が起きるのです。瞑想をしている時には心の中に真っ赤な目をした大きな鬼が現れたり、私を棍棒で叩きつける鬼の姿を見たりするようになりました。
食堂で私達はけが人の手当てをしていました。殆どの人はかすり傷程度の軽い怪我でした。しかしその中に1人だけ食堂の柱の下に挟まれている人がいました。その人とは、誰でもない、私の母でした。私達は急いで母をそこから救出すると、荷台に乗せ大急ぎで病院へ連れて行きました。道は雨が降るとぐちゃぐちゃになり、荷台を動かすのはとても大変でした。病院までたった2キロの距離が、その時は何千キロという遠さなのではないかと感じました。移送している間、私は母に功徳を思い出すように、死ぬ事は生きる者にとって当たり前のことなんだと話し聞かせていました。意識のあった母は私の話を理解していました。母はとても明るい顔で微笑んでいて、痛みを訴えるようなしぐさは全くしていませんでした。鼓動もしっかりと聞こえていたのですが、その音は次第に弱くなっていました。私は母の鼓動が止まらぬように願っていました。しかし入院してから3日後、母は息を引き取りました。静かな最期でした。私は瞑想の時に見えた鬼を思い出し、母を襲った柱はその鬼が持っている棍棒にとても似ていると思いました。そこで勝手に持ってきた石をその場所に戻しました。それからは悪夢のような出来事は一切起こらなくなりました。
それからもうひとつ、近くの村のお寺の住職を勤めてきた友人の話があります。出家をしてから15年目に入った2006年8月18日の夜、彼はある夢をみました。彼の元に人が現れ、川の中にタキャンという木があると言いました。6日後、そこをショベルカーを使って掘ってみるとそこから夢で言われたものと同じ木が3本見つかりました。それはとても大きい木でした。3本を写真に撮ってみると、まるで人が並んでいるかのようでした。小さな木が19歳くらいの女の子、大きい木は年をとった祖父母のように見えました。その写真では人のような顔が見て取れました。もう1枚では、その木がタバコを吸っている幽霊のような怖い顔が映っていました。この木には不思議の力があると思い、村の人々はその木に向かって宝くじに当たるようによく願っていまいした。その後、宝くじが当った人もいました。その一方でその木を冒とくすると災難が起こりました。若者がこの木を炭にしようと言ったまもなく、バイク事故が起こったりしたのです。私はそれを信じなていなくても侮辱しないほうがいいと思いました。
คำถาม
1. プラモンコンテープムニー大師のお守りが、私に食料と様々な奇跡を与えてくれたのですか。
2. トゥジャウスアダウ洞窟にいる僧侶は四念処という瞑想法を実践していますが、この瞑想法で法身に到達することは出来るのですか。どうして彼らはその洞窟で修行をしているのですか。
3. なぜ私は体の中心に神経を集中させると、体の中から光が放たれるのを感じる事が出来るのですか。このような瞑想法をしていても殆どの人がこの光を見ることができないのはなぜですか。棺桶の中で寝ていた時に現れた黒い影は何だったのですか。
4. その洞窟の辺りに住む人々は、そこにはまるで瓶に命が宿っているかのように水遊びをしていたり、水が湧き出していたのを見たと言っていましたが、それは本当の事ですか。真実であれば、どうしてそのようなことが起こるのですか。
5. 私が黒い石を拾ってきた場所は鬼が管轄している場所というのは本当ですか。それが本当ならば、彼らはその石を取り返しに来たのですか。私の行為は2番目の戒律を破ったことになるのですか。その場所はいつ出来たのですか。どのような歴史があるのですか。
6. 鬼が母の上に柱を倒したのですか。その場合、その鬼は悪い報いを受けることになるのですか。この柱は私が瞑想している時に見た鬼と関係があるのですか。
7. なぜ母はこのようにして命を落とす事になったのですか。もし私があの岩を取ってこなければ、母はこのような目に遭わずに住んだのですか。母は亡くなる前、何を見ていましたか。死後どうしていますか。
8. 3本の木はタキャンという木ですか。その木には霊が宿っているのですか。なぜ友人の夢に現れたのですか。その夢に現れた人は何者ですか。写真に写る3本の木は同じ家族なのですか。なぜ木から数字が浮かび上がっていたのですか。なぜ冒とくした人に災難が起こったのですか。
9. 父は5年間出家していた事があります。父は胆管癌を患い亡くなったのはなぜですか。死後どこへ行きましたか。
10. なぜ私は1人でいたり、森や洞窟での瞑想を好んでいるのですか。なぜ棺桶の中で眠る事がすきなのですか。
11. どうしてタンマガーイ寺院で功徳を積んでいないのに、このお寺の人々とよく出会うのですか。
12. 前の仏陀の時代、現世のように1人でいることが好きだったのですか。瞑想の結果はどうでしたか。1人で功徳を積む事が好きな人と、数人で一緒に功徳を積むことが好きな人がいるのはなぜですか。
ฝันในฝัน
1. あなたがトゥジャウスアダウ洞窟にいる間、食事の面で困ることがなかったのは、プラモンコンテープムニー大師の偉大な力と、あなたが過去世に施したお布施の功徳のおかげです。
2. トゥジャウスアダウ洞窟の修行者たちは四念処という瞑想法を実践していますが、もし身体中心となる第7番のポイントに精神を集中することができれば法身に到達することができます。
- そうでなければなかなか到達することはできないでしょう。
- 彼らがその洞窟で修行をしていたのは、その場所が静かで修行に相応しい場所だからです。また彼らは悟りを目指して修行しているからです。
3. あなたとお友達は身体の中心となるの第7番のポイントに精神を集中させると、身体から光を発することができます。それは2人の瞑想の深さが同じなのでできたことです。望めば通じ合うことさえできます。瞑想の深さが同じでなければ、互いの光を見ることはできないでしょう。
- あなたが棺桶で寝ると、黒い影に身体を投げられたりしているように感じたのは、換気が悪かったからです。
- 実際には何もありませんでした。棺桶で寝ることは練習だと思って下さい。いつか必ずその中に(永遠に)眠る日がやってくるのです。ほとんどの人は、自分がいつか死ぬことを覚悟しません。
- ですからそれはそれらの人々に適する修行法です。この修行をすると人生を油断せず生きていくようになるでしょう。
4. トゥジャウスアダウ洞窟周辺に住んでいる人達は、瓶に命が宿っているかのように水遊びをしたり、水が常時湧き出る源泉を発見したりしたなどと言っていましたが、それはただの噂です。
- 修行することには何も役に立ちません。ですから気にしないで下さい。
5. あなたが黒い石を拾った場所を鬼が見守っているということは事実です。昔、その場所はバラモンたちが神様を礼拝する儀式を行う場所でした。
- 鬼が黒い石を取り戻すためにやってきたのも事実です。
- しかしその黒い石を拾ってきたあなたが2番目の戒律を破ったとは言えません。なぜなら、あなたはその石を自然のものだと考え、他には何も知らなかったからです。
- それらの遺物は、バラモン教の信仰に基づいたクメール文化が流行していた時代に作られたものです。
6. 柱がお母さんの上に倒れたのは、天災と過去世での悪い行いに対する報いを同時に受けたからです。
- あなたは鬼が黒い石を取り戻そうとして、起きたことだと考えましたが、実際は瞑想をした時に見えた、あなたの背中を棒で叩いた鬼とは全く関係はありません。
7. お母さんがこのようにして亡くなったのは、ある過去世で蛇が多い村に住んでいるお母さんがよく蛇の背中を叩き殺していたからです。
- あなたが黒い石を持ってこなくても、お母さんはその報いで亡くなっていました。
死後、心に明るい光の映像が現れてから眠り、第2天国の黄金の天宮で、天女として目を覚めました。仏教で積んだ功徳のおかげでこのように生まれ変わることが出来ました。
8. グンゲン沼沢地帯にある3本のタキャンという木には音楽系の天人が宿っています。
- その沼沢から上陸したがっていた時に、お友達の僧侶の夢に現れたのです。
- 写真に写ったのは、木に宿っている親子の音楽系の天人です。そのタキャンの木に現れた数字は、宝くじに執着する人が目のくらみでそのように見えたのです。
- 当たった人は過去の施した行いに対する報いを受けて、本当に出る数字が見えました。しかし何回も当たっていたわけではありません。1回当たっだけなのに何回も当たったと誇張して言っていました。
- そのタキャンの木に悪口を言った事で災いに遭うのは、過去世に悪口を言った事に対する報いをその時に受けたからです。その木に宿っている天人は何もしていません。
- 友達の僧侶に、その木に宿っている天人を他の木に移動させることを勧めて下さい。それはこの木についての迷信を広めない為です。
9. 年間出家していた事のあるお父さんが胆管癌で亡くなったのは、過去世で食する為に動物を殺生したり、怒りや強い恨みを持った報いを受けたからです。
10. あなたが1人でいる事や棺桶で眠る事が好きだったり、よく森や洞窟で瞑想修行をしているのは、過去世からそのように修行をしてきたからです。そしてその生活に自由や快適を感じていました。
11. 修行中によくタンマガーイ寺院の信者さんに出会うのは、あなたが私たちと功徳を積んできたからです。しかし1人でいる事や自由が好きな人ですから、私達と共に功徳を積んではいないのです。
- の仏陀の時代において、あなたは高貴な家柄の男性で仏教を信仰し、出家もしました。当時のお寺には僧侶等が多かったので、現世のように、森へ行って修行をしていました。
- 瞑想の結果、透明な仏像が見ることができ、死後第4天国に生まれました。
- 出家の運命、そして私達と共に功徳を積んだ事があります。現世、よく瞑想を実践し、私達と共に功徳を積めば、再び第4天国に生まれることができるでしょう。
- 1人で善い行いをする事が好きな人は、早く悟り涅槃に入りたいと思っているからです。それに集団生活が好きではなく、集団の中の人と喧嘩をした事などがあるのです。
- 誰かと一緒に功徳を積む人達は、大いなる慈悲の心を持ち、他人と共に一緒に悟りを開くことを望んでいます。そして彼らは意見の食い違いに我慢のできる人達なのです。目的とするところまで、お互いに協力していけば頑張ることができると考えるからです。
- 現世、仏教と廻り合えたのですから、できるだけ功徳を積む事に励んで下さい。そして菩薩の領域『とそつ天』に生まれる事を願いましょう。