『二番はいない』
クンヤーイ(お婆さん) ウバーシカー(優婆夷)
チャン コンノックユーン
の生涯
5.ワットパークナームでの生活
念願であった父との再会、更に、地獄から天界へ救い出すことができたチャンは、大満足し、喜びに心膨らませました。これを可能にした法身に感謝し、以前にも増して瞑想に励みました。
また、法身に至った喜びは、例えようもないもので、今までの人生で感じた、どんな喜びにも勝るものでした。
もっと、法身についての知識に興味を抱いたチャンは、ルァンプー・ワットパークナーム大師の下で修行を受けてみたいと思い、トーンスック先生に相談をしました。
先生は、一月ほど一緒にワットパークナーム寺院で瞑想修行をしましょうか、と提案しました。このためにチャンは、ワットパークナーム寺院での修行許可を、リァップ婦人から得るために、今まで以上に懸命に仕事に打ち込み、この仕事振りに感心した婦人から、心良く許可を得ることが出来たのです。
チャンがワットパークナーム寺院に向かう際に、婦人は約束通り必ず一月後には戻ってくれるように、と声をかけました。
それを聞いたチャンは、ただ黙っていました。婦人はそれを承諾の仕草だと、思い込んでしまいました。
出発前の夜、チャンはある夢を見ました。大きな河の辺に一人佇んでいると、向こう岸から一艘の船が現れ、こちら岸まで来ると、チャンを乗せ、向こう岸へと渡しました。
その岸には、大きな菩提樹が、日差しを遮るように立ち聳えていました。そよ風がそよぐ涼しい木陰に座ってみると、何とも言えない心地よさを感じたのでした。
1938年、トーンスック先生が、チャンを連れワットパークナーム寺院を訪れました。到着すると、丁度ルァンプー大師は、屋外の説法場で説法の最中でした。
説法が終わった後に、トーンスック先生が、チャンをルァンプーに引き合わせました。ルァンプーは、チャンの顔をじっと暫く見つめると、チャンには、この時点では理解できない、不思議な言葉を投げかけました。
「お前さん、来るのが遅いじゃないか」。
この日、ルァンプーは、チャンを高弟専用の特別瞑想場へと、送り込みました。この特別瞑想場は、瞑想レベルが非常に高い、法身に至った者だけが、修行することができます。
ここで修行するためには、様々な試験があり、法身に至らなければ、正確に答えられないものです。しかし、チャンは、この試験を受けることもなく、ルァンプーの特別の指示で、寺院を訪れたその日直ぐに、瞑想修行に参加したのです。
このワットパークナーム寺院には、全く知り合いもいなく、ベッドや椅子などは、今にも壊れそうな状態の物ばかりで、蚊帳は、古くて破れており、嫌な匂いもするものでした。
このような、非常に質素な日常生活を送っている寺院での生活に、チャンは嫌な顔ひとつせずに、支給されたものすべてを大切に使いました。
破れていた蚊帳は、綻びを繕い、丁寧に洗濯し匂いをとりました。その蚊帳は、蚊やブヨなどから身を守ってくれるもので、その利用が出来れば充分だと、有難く思いました。
ベッドは、昼間の疲れをとる寝具だと割り切って、睡眠から得られた英気を、すべて修行に使おうと考えました。薄汚れ、南京虫が隠れ住んでいて、足も折れ捨てられていたベッドを拾って、折れた部分は修理して、南京虫は掴み取って放してあげました。
南京虫は無数に隠れており、チャンが睡眠中にも、次から次へと血を吸って、その度に眼を覚ましては、一匹ずつ殺さぬように丁寧に掴み、入れ物に入れて置き、朝になると、どこかに放してあげました。
このために、ゆっくり熟睡することも出来ませんでしたが、不平不満も一切漏らさず、毎日、これを続けているうちに、ベッドに住み着いていた南京虫たちも、ついに一匹もいなくなりました。
また、このベッドを、毎日毎日丁寧に拭いて綺麗にしました。一見すると、外見は古い朽ち果てたようなベッドが、チャンの清潔好きな努力の賜物で、他の人から、古いが何とも魅力があるベッドだと言われ、色んな人が集まり、腰掛場所となりました。
チャンの容姿は、血管が浮き出るほど身体が細く、色黒で、他人は、外見から結核ではないかと恐れ、食事の時も、チャンへの配膳は、まるで食べさせたくないように、手で掘り投げて突き出しました。
毎日、チャンは、このような仕打ちを何度もされようが、まったく気にしていませんでした。これは、食事を頂け瞑想だけに打ち込めるのも、ルァンプーのお陰だからと、心から感謝していたからです。
信者さんも、ルァンプーが福田であることを知っていて、日々のご飯を布施したので、このご飯を大切にいただく必要があると思いました。
また、「配膳や賄いの係りの人たちは、毎日、朝早く材料を仕入れ、立っているだけでも熱い鍋の前で、調理する大変な仕事であって疲れている。
だから、例え、どのような態度をされようが、自分の役割は、ただ、ルァンプーからのご飯を食べて、瞑想修行に没頭するだけ」と純な心で一途に思い、一貫して前向きな生き方をしていたチャンでした。
いくら他人が結核と勘違いして、自分を敬遠しようが、これを幸いと思うことで、常に、一人でいられれば、他人に気を使う必要もなくて食事が頂けるし、食事を終えるのも、誰にも遠慮なくいつでも出来ます。
他人と話す必要もなく、食事中でさえ、心を留めることも出来ます。このように、チャンは法身を学ぶためには、あらゆる障害をのり越える努力を惜しまずに、決して無意味な行動はせずに、ただひたすら瞑想修行に邁進しました。