二番はいない7


[ 1 พ.ย. 2551 ] - [ 18263 ] LINE it!

 
『二番はいない』

クンヤーイ(お婆さん) ウバーシカー(優婆夷)

チャン コンノックユーン

の生涯

7. 法身の極地へ
 

 
 
 高度の瞑想修行を行っている特別瞑想場は、一つの大きな建物の真ん中に壁で仕切り、完全に二つに区切っていました。仕切っていたのは、一つは、僧侶専用で30名ほどの僧侶が瞑想しており、もう片方には、女性出家者や、八斎戒を守る女性たち、30名ほどが瞑想していました。僧侶が、この区域には立ち入りができないため、この壁に小さな穴を開け、この穴から、ルァンプーが声を出し、瞑想の指導をしていました。
 
普段は、特別瞑想場では、何組かに分かれて、一組が、四時間の瞑想を行い、順次交替で、瞑想を24時間絶えることなく続けていました。しかし、第二次世界大戦が勃発すると、二組に分かれ、一回6時間、これを一組が一日2回行い、6時間ごとに、二組が交替で、24時間瞑想を続けていました。瞑想の時間帯は、先ず一組目が、午前6時から午後零時まで、その後、休憩を挟み、午後6時から午前零時まで、二組目は、午後零時から午後6時まで、休憩を挟み、午前零時から6時まで、と言うものでした。
 

二組目は、時間帯が真夜中から朝まで、という厳しいものでした。ルァンプーは、チャンを二組目のリーダーに指名しました。この理由は、チャンが責任感が強く、健康で、法身を学ぶための勤勉さや、法身の知見が正確であることを、兼ね備えていたからです。

リーダーに指名したのは、もう一つの理由がありました。チャンは瞑想に入ると、外界からの情報をすべてを遮断でき、瞑想に命を捨てても良いという、気構えがありました。一旦瞑想に入ると、何時間であろうと、一切姿勢を変えることがありませんでした。
 

更に、交替時間の6時間を経過しても、他の人たちのように、直ちに立ち去ることもなく、次の交替組リーダーへの、ルァンプーの指導を聞きながら、その組と一緒に、その指導内容を果たしてしまう、という熱心さを持ち合わせていたからです。

時には、経過時間は、一時間以上にも及ぶこともありました。
 
チャンは、一旦瞑想場を出ても、常に体の中心に心を留め続けることを、忘れませんでした。何をしていても、このことだけに集中していました。
 
次の交替時にも、前以って15分ほど早く瞑想場に入り、前の組へのルァンプーの指摘内容を、聞き漏らしませんでした。
 
このため、ルァンプーの瞑想指導法を、誰よりも熟知することが出来ました。ルァンプーの指導が、どのように始まり、どのように終わるのか、組と組の指導の繋がりを、どのように行っているのか、全てを知ることが出来ました。
 
チャンは、他の人たちと違って、全く読み書きも出来なかったので、外界からの知識を得ることは難しく、内面からの本当の知識を得て、それに依って、ルァンプーの質問に答えました。
 
このようなチャンの、一途な努力を見て、ルァンプーが非常に満足したので、チャンをリーダーと任命したのです。
 

 チャンがこの瞑想場で修行を行ってから2年後、第二次世界大戦が勃発しました。
 
    ルァンプーは、戦争当事者の連合国、枢機国、両者の戦いを終結させるため、また、国と人類をこの戦争の被害から守るため、終夜違わず、高弟たちを使い、法身の力を使いました。
 
国の重要な防御拠点を、敵側の航空機による爆弾投下の被害から防御するため、法身の力を使い、航空機の乗組員からは、拠点を海や森林などに見えるよう幻惑し、被害を受けても差し障りない海や森を、さも、拠点の実体に見せました。
 
当時、日本軍が多数タイに駐留しており、首都バンコクに主力部隊が駐屯していました。日本軍はこれを足掛かりにビルマやインドに侵攻する作戦だったのです。そのため、連合国側はバンコクに駐留する日本軍に対し、頻繁に爆弾投下を行っていたのです。
 
ルァンプーはこのような危険な状況にも拘らず、ワット・パークナーム寺院から退去することなく、身を犠牲にしても、高弟たちと共に法身の力で、国の被害を最小限度に止めると固く誓いました。
 
チャンも、自己犠牲することを何ら厭わず、自分の持つ力を最大限に発揮し、大師とともに闘いました。当時、ルァンプーの名声は高く、ルァンプーと共にいれば、救われることを信じ、寺院に寝泊りに来る地元信者が多数いました。
 
ルァンプーは、多数いる高弟たちから、その日、何時にどこへ爆弾が投下されるのかを調べさせました。この中でチャンだけが全く間違うことなく、すべて予見できました。チャンが答えた時間だけになると、疑うことなく、寺院の人たちは皆灯りを消し、身を潜めました。ルァンプーは、時間になると投下を幻惑するための指揮を執りました。
 
このように、重大な使命を帯び、瞑想を続けるということは大変な体力と心の強さを必要としますが、チャンのような心の強さを持っている人だからこそ、長期間に渡り、耐えて行うことが出来ました。
 
戦争によって食べ物や日用品にも事欠くという耐久生活を送り、又、追い討ちを駆けるような大洪水も起きた中で、チャンは瞑想に励み続け、それらの事態を乗り越えました。
 
チャンは結核と見間違えられるほど細い体でしたが、瞑想に入ると、心が肉体から離れ、法身という悟りの体と一体となり、涅槃の清浄を受ける身となることによって、涅槃からの力を絶え間なく得たのです。そのため、チャンは偉大な力を持つ者となったのです。
 
戦争が終わった後も、チャンは瞑想を続け、世界と宇宙についての事や、善と悪とその中間との戦いはいつから始まったのか、それが人間とどういう関連を持つのか、ということを調べました。清らかな心が静止すると、内面からの知識が湧き出し、すべてを知ることが出来ました。これは、法身の力によるものでした。
 
チャンは、ルァンプーと共に瞑想修行をすることに、この上のない幸せを感じていました。それは、法身に至ることによって、これまでの人生では、決して味わったこともない、幸福感に包まれるからです。
 
余分な考えは、何もせず、常に、法の果に至ることのみを、目指していました。この強い意志は、晩年、体調が良かった時に、ごく身近の弟子たちだけに語った、「私はまだ涅槃には、行かない。悪魔を、全滅させることができるまで」に表されます。
 
ルァンプーは、生きとし生けるもの、すべての衆生たちの苦しみは、悪魔によるものだと説きました。「悪魔」とは、「妨げる者」という意味で、人々の善行を容易にできないように邪魔をする者です。
 
仏教経典には、悪魔についてのことが、何箇所にも書かれてあります。他の宗教も、悪魔について、時には「サタン」と呼んでいます。
 
善と悪、善行と悪行、光と闇、知と無知、清浄と穢れ、二つのものが常に闘っており、その戦いの場は、体、心、輪廻転生する者の、住む世界です。
 
さらに、ルァンプーは、その苦の原因を創りだす者を全滅しなければ、衆生たちの、全ての苦しみが消えることはない、と主張しました。
 
人間世界での戦争は、本当の戦いではありません。まだ、本当の敵と戦っていません。なぜなら、まだ、その煩悩を創りだす起源である、悪魔と闘っていないからです。
 
悪魔は、人に、良いない考え、良くない言葉、良くない行いをさせて、悪行の報いを受けるために、幾度も輪廻転生させる罠を創りました。
 
また、人を、病に伏せさせ、季節通りに雨を降らせない、経済を崩壊させる、食べ物が少なく、物価が高い、飢えさせる、戦争を起こす、お互いを殺しあう、ことなども悪魔の仕業です。その悪魔を全滅させれば、衆生を支配している煩悩もなくなり、善のみが残ります。
 

法の果てまで至ることが出来ない限り、悪魔の支配から逃れられず、奴隷として転生を繰り返すこととなります。このように、ルァンプーは、昼夜も、命をかけて、その法の果て(涅槃の彼方)に向かい、瞑想に励み続けていました。

 



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