二番はいない1


[ 1 พ.ย. 2551 ] - [ 18259 ] LINE it!

『二番はいない』

クンヤーイ(お婆さん) ウバーシカー(優婆夷)

チャン コンノックユーン

の生涯

少女時代

タイ王国ナコンパトム県ナコンチャイシー市にある、広大な田や畑、風に揺れまるで海原のような稲穂、どこまでも続く透き通った青空、空に浮かぶ綿菓子のような雲々、一服の清涼を呼ぶ木立ち、悠々と流れる川に浮かぶ小船、川岸に佇む小さな家。

このような自然に恵まれ、子供たちにとっては、素晴らしい時をおくる環境が、すべて揃っていました。

この地に、いつも小船に乗って川を漕ぎ回って遊んでいる、一人の小さな女の子がいました。この子は九人兄弟の五番目で、お父さんはいつも、一番やんちゃな子だ、と苦笑いしていました。

彼女をチャンと呼び、とても可愛がっていました。この子が後に、クンヤーイ・ウバーシカー チャン コンノックユーンと呼ばれるようになるのです。

チャンは、ナコンチャイシー市の中産階級農家の、父パンと母プローイの間に西暦1909120日の早朝に誕生しました。

水牛がのんびりと草を食んでいる風景の中、父母が野良仕事に励んでいるところへ、チャンは昼食の弁当を届け、家族一緒に田畑で食事をするのでした。

そこで、一日中家族の仕事を、汗水たらしながら手伝い、夕方になると、子供たちの間で人気者であったチャンは、友達と水牛を川に連れて行き、水浴びさせ小奇麗にさせてから、小屋に連れ戻ってくるのが日課でした。このような農家の生活様式が、チャンを逞しく成長させました。

 

当時の習慣として、女の子には学校に行かせず、この結果当然、読み書きは出来るはずもなく、チャンも同様に、生涯読み書きが出来ませんでした。チャンは、家事全般と、父母の田畑での作業の手伝いが、一日の生活のすべてでした。

 

毎朝、四時近くに起きて田畑に出かけているとき、太陽が少しずつ地平線から、顔を出してくるのを眺めるのが大好きでした。

そして、「この太陽が、どこから来たのか。いつか、その太陽へ行きたい」という夢を抱いていました。

 

チャンの勤勉さは、近所の人たちには有名で、誰一人、チャンより早く田畑に、農作業に出かけた者はいませんでした。

近所の人たちは、チャンをタイのことわざで「鉄の足を持つ女の子」と命名し、まるで「働き蜂」のようだ、と噂をしていました。

この勤勉さで、家族の経済状態も一段と上向き、一度も借金などをしたことのない、健全な家庭を築くことに貢献したのです。

 

チャンは、結婚生活は幸せなことだけではなく、いろんな苦しみが多くあるものだ、と気づいたのは、父母の生活を垣間見ていたからです。

父はお酒が好きで、毎日欠かさず一杯のお酒を飲んでいました。普段はとても温厚でやさしいお父さんが、お酒を口にすると、お母さんと口喧嘩をしたり、と豹変するのでした。

 

喧嘩の度に、お母さんはお父さんを黙らすために、ある言葉を投げつけました。この言葉をお父さんが聞いた途端に、酔いから覚め、大人しくなることを、お母さんは知っていたのです。

ある日、チャンの将来を左右する大事件が、二人の間に起こりました。その日、お父さんはいつものようにお酒を飲んで、高床式の家の下に置いてあった、簡易ベッドに酔っ払って、寝言を五月蝿く言いながら、横になっていました。

上の家の中にいたお母さんは、いつものように酔っ払っているお父さんの寝言を聞いて煩わしく思い、「この雀め、他人の巣を借りているのに、うるさくするの」と皮肉な言葉を投げ付けました。

 

あまり裕福ではなかった家の出身のお父さんは、裕福な家庭のお母さんの家に婿で入ったことに、いつも肩身が狭くなるような思いを感じていたのですが、このお母さんの言葉を聞いて、我慢の限界に達して激怒しました。

 

「今、お母さんが、お父さんが雀で、お母さんの巣を借りている、って言った皮肉を聞こえたか。これは本当のことか。」と怒鳴るように、子供たちに言いました。

 

この怒鳴り声を聞いた子供たちは、怖くなって黙り込み、チャン以外は、誰も答えることが出来ませんでした。

チャンは、どうにか二人の喧嘩を収めたくて、お父さんに「お母さんは、皮肉を言っていないよ」と優しく答えました。

 

怒りで我を忘れていたお父さんは、思わずチャンに「お前なんか、これから500回も輪廻転生しようと、ずっと、耳が聞こえない人に、生まれ変わってしまえ」と呪いの言葉を、投げ付けてしまいました。

その呪いの言葉は、チャンの純粋で清らかな心に、長く刻み込まれてしまったのです。

チャンは、両親の子供達に対する祝福の言葉は、実現するものであると固く信じており、同じように、呪いの言葉も実現するものだと信じこみ、恐怖に慄きました。

このために、お父さんが他界する前に、この言葉を取り消す許しの言葉を、自分に言ってくれることを願っていました。

なぜこの後、酔いから覚めたお父さんに、この許しの言葉を願わなかったのかは、これを願うと、もっとお父さんが、怒ってしまうことを恐れたからです。

それから数ヶ月後、病に倒れ寝込んでいるお父さんを、子供達が交替で食事の世話をしました。

お父さんが亡くなる最後の日の朝、チャンは、いつものように食事の世話をしてから、小船を漕いで田圃に出かけました。

帰ってくると、お父さんは既に亡くなっており、家族が遺体に取り縋り、泣き崩れていました。チャンを見ると、兄弟たちは「なぜ、お父さんの臨終に立ち会わず、懺悔もしなかったんだ」と責め立てました。

 

チャンは、お父さんから呪いの言葉を取り消す許しの言葉を、もらえなかったことを悔やみ、いつの日か、あの世にいるお父さんに会いに行って、許しをもらおう、と固く心に誓ったのです。

 


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